小杉喜代子(北海道・札幌市 53歳)
私が乳酸菌生産物質と出会ったのは1992年頃です。主人を亡くし、子育てに家事に仕事にと、1人何役もの生活で心身ともに疲れ、そのストレスから徐々に病魔に冒されていました。
喘息と甲状腺機能先進症等々の病気と闘いながら、自分白身でも頑張っ
たなと思います。仕事を持っているので、人前では気丈に振舞わなければと必死でしたが、夜一人になると、喘息の発作でゼイゼイと呼吸が苦しくなり、「今日一日私に命をください」と祈っていました。
私を気遣う友人や知人、兄弟から良い薬や飲み物、いい先生の情報を聞けば、藁にもすがる思いで、経済の許す限り実践してきました。しかし、西洋医学に東洋医学、漢方薬のいずれも、私にとっては効果の得られない、全く信じられないものでしかありませんでした。
その頃は、仕事で東京におりまして、姉の友人から乳酸菌生産物質でご主人の癌が改善されたことを聞きました。喘息にもいいのではと薦められ、すぐに飲み始めました。
当時は、疲れたら飲む、飲むと少し体が楽になるというとり方でした。会社でもどこでも携帯に便利なスティック状なのも気に入っていました。
ところが、乳酸菌生産物質を2、3箱(スティック90本入り)飲んだ頃に、また北海道に戻ることになり、東京から送ってもらうのも面倒と、その良さを十分知らないまま中断してしまいました。
それから4、5年過ぎた気がします。
96年、札幌にお住まいの方との再会が乳酸菌生産物質との再会でもありました。
何か運命を感じ、再び飲み始めると1週間ほどで、無臭症でほとんどにおいが分からないはずの私が、コーヒーの香ばしさを感じました。その感激は忘れられません。
また、30歳で子宮筋腫の手術をして生理がないのに胸が張ってきました。いろいろな方にお間きしたところ、生理がきた方もいらっしやるとのこと。私の体の中で少しずつ変化が起きていました。
春先や秋口にぱ、決まって喘息に悩まされた私が、風邪を引いても発
作を起こさなくなりました。もっとも、その頃は、たくさんの量は飲んでぃなかったと記憶しています。
人間、元気になるとやる気が出るもので、朝早くから夜遅くまで頑張ったのが災いしたのか、翌年の2月にはまた体調を崩してしまいました。
以前にも増して状態は悪く、寝床を出ることもままならず首は重く脈打ち、4、5時間起きているのがやっと。休み休みでないと、次の動作に移れません。夜中の発作も頻繁、体重は激減、顔色も土色でした。
私は、主治医の先生から十数年来勧められていた甲状腺の手術を、いよいよ受ける決意をしました。ただ、私はケロイド体質なので、放射線にするか手術にするかでずいぶん迷いましたが、その年の6月10日に入院しました。体力が落ちていたため、手術は1ヶ月後となりました。
先生から「術後の後遺症で声が出なくなるかも知れない。喘息の発作が起きたら手術ぱ中止します。多量の輸血も準備しなければいけない」などの説明を受けました。
傷口のケロイドのこともあり、頭の中が真白でしたが、一条の光が私の脳裏をかすめました。
「3年近く乳酸菌生産物質を飲んでいた、私の体には乳酸菌生産物質が入っているんだ」。
手術後、驚いたことに、傷口はまったく痛まず、出血も少ない。声も出ました。2週問後にぱ、他の人たちより早く退院できたのです。現在も定期的に精密検査は受けていますが、異常なしとのこと。
元気で働ける喜びに感謝しながら、これからも乳酸菌生産物質のすばらしさをたくさんの方に伝えたいと思っています。
参考資料「乳酸菌生産物質の奇跡」 平石クリニック院長 平石貴久著
(ドリームワークス出版)
【乳酸菌生産物質Q&A】をご覧下さい
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